読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

UXエンジニアになりたい人のブログ

転職活動はじめてすぐやめた

死なない理由は「友達がいないから」



上記記事を(だいぶ前に)読んでふと思い出しました。

わたし、あんまり生きる意志にあふれてなくて、もしあした、一瞬のうちに世界が滅びるなら「まあいっかさようなら」と思うくらいの死生観なのですが、でもまだ死なない理由が1つだけあるのです。

 

それは、「友達がいないので葬式に人がどのくらいくるかわからない」からです。

 

わたし、まだ両親が健在なんですね*1

で、ほら、親の世代ってわれわれの世代とは違って、変な言い方ですけど葬式にも慣れてるじゃないですか。仲の良い人が若くして亡くなった経験もあるだろうし、年上の親しいひとが亡くなる経験もままあるだろうし、自分の親とか親類とかそういう縁者が亡くなることもあっただろうし。

それで、通夜や葬式の場では「まああの人はこんなに葬式に人が来てくれて人徳があったのね」と驚くとか、故人の思いもよらぬエピソードに思い出話に花を咲かせるとか、そういう経験を少なからずしてるわけじゃないですか。だいたい葬式はどんな会場でやって、何人くらい来るとか、そういう雰囲気を知ってるわけじゃないですか。

その状態でですよ、子供の葬式に友達が全然こなくて、親戚も入れて全部で10人しか来ませんでしたなんてなったら、あんまりじゃないですか。そもそも親より先に逝くなんて親不孝をかましておいて、さらに子供に人徳がないことを思い知らすなんてさらにダブルパンチじゃないですか。

 

 

あと、わたし全然恋人を親と会わせないタイプの人なので、いままで一回も恋人を紹介したことがないのです。そうすると、自分の恋人と自分の親の初対面が、自分の葬式になる可能性があるわけじゃないですか。

子供とその恋人の初対面って、「まあ○○は異性と過ごすときはそんな一面があるのね。知らない間に成長してたのねきゃっきゃうふふ」みたいなノリじゃないですか。知らんけど。適当に言ったけど。なのに、初めて見る子供の恋人が悲しみに暮れてる人物で、勝手も知らない老齢の両親がそれを慰める図とか、そういうのってあんまりじゃないですか。

 

 

さらにいうなら、自分は特に意味もなく「死んだ後は2,3日その周囲の空間に漂っていて、その後天国的なところに旅立つ*2」という感覚を持ってるのですが、そうだとすると旅立つ前に自分の葬式の寂れ具合を見ることになっちゃうじゃないですか。自業自得とはいえ、すげーテンション下がりますよね。 例えば東京フレンドパークのウォールクラッシュみたいにテンション高くハイジャンプしないと天国に行けない、みたいなシステムだったら困るじゃないですか。

 

まあそんなような理由で、友達がたくさんできるまでは死なないようにしようかな、などと思いつつ今日も生きてます。

かしこ 

*1:一応このブログは性別年齢不詳という体でやってるので、まだとかいわれても困ると思うんですけどまあそれはおいといて

*2:ちなみにトンネル的な電波が届かないようなところで死ぬと旅立てないという謎の観念もある