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ファミコン世代は日本をダメにしない(少なくともUX設計においては)

少し前だったか、ファミコン世代が日本をダメにするという主張があった。トヨタやメルセデスのCMにファミコン音楽を使いやがる幼稚な世代、的な論調だったように思う。

その話とはあんまり関係ないんだけど、ファミコン世代は日本をダメにしないという主張で記事を書いてみようと思う。

 

シンプルすぎる操作体系とそこへの工夫がもたらす重要性

ファミコンの操作体系は貧弱だ。

主要なボタンは3つしかない。十字キーとAボタン、Bボタン。アクションで言えば、移動と攻撃とジャンプといったところか。例えばサブウェポンのようなものを表現したければ途端に「工夫」が必要になる。そもそもファミコン自体が最初期の任天堂のゲームに代表されるような、単純でシンプルでボタンが3つあれば足りるようなゲームのみを念頭において開発されたのだろう。

 

しかしファミコンは(おそらく任天堂自身も予想外なほどの)大ヒットをしたが故に、貧弱さに見合わないほどあらゆるゲームが生まれることになった。

横スクロールアクション、アクションシューティング、3D風レースゲーム、コマンド選択式RPG、各種スポーツゲームなどなど、いまでもスタンダードとなっているジャンルのゲームの基本システムが、たった3つのボタンで表現され、確立された。

と同時に、一つの新しいジャンルが確立すると雨後の筍のように模倣ゲーがいくつも生まれた。ここで重要なのは模倣ゲーの中には、単なるパクリや劣化コピーのものもあれば、独自の面白さを秘めたものもあったということだ。

それらの違いはほんの小さな操作感の違いであったり、ほんの小さなUI表現の違いであったり、世界観のような機能性とは関係ない違いだったりした。けれども、ともかく、われわれの子供の頃はそういったほんの些細な心地よさの違いで、面白いとか面白くないとかを共有していたように思う。

ファミコン世代はこう言った経験を通して、貧弱で現実との乖離が大きく、操作や表現に制限が多い中で工夫することの重要性と、その結果(人の感じる面白いという気持ち)がどう現れるのか、細部に渡るこだわりが結果にどう影響するかのかを、名前も忘れてしまった「つまんないゲーム」の記憶とともに、無意識的に理解していると思うのだ。

 

箱と説明書の話

今はあまり見なくなってしまったが、昔は商店街とか住宅街の一角に「ファミコン屋」という中古カセットを流通する店がたくさんあって、子供たちはそこでカセットを売り買いしていた*1

この手の店には箱説明書つきorなしという概念があって、むきだしのカセットは箱説明書つきのカセットに比べて圧倒的に安かった。

こづかいが数百円の時代に、箱説明書つきは1500円、なしは400円なんて値付けがされていた*2。当然金銭的にはなしの方が魅力的であるが、しかし当時のゲームは今のゲームのようにチュートリアルなんてものはなくて、要するに説明書なしのカセットを買うのは一種の「賭け」だったわけだ*3

 

マニュアルなしでも直感的にわかるUIという評価軸が出てきてから久しい。それはAppleがiPhoneで確立したという流れが大勢だが、ファミコン世代にはもっとずっと昔にその重要性が刷り込まれている。

箱説明書付きで1500円、箱説明書なしのむき出しのカセットが400円、毎月のお小遣いが500円。この状況で箱説明書なしのカセットを買って、いざ家に帰ってプレイしてみて、全然操作方法がわからなくて先に進めなかった時どんな気持ちになるか。

全然やり方がわからなくて、周りに同じカセットを持ってる人もいなくて、1週間後同じ店に100円で売り払った苦い記憶とともに、その重要性が記憶の奥底に刷り込まれているはずなのだ。

 

論旨

世代全体に対して、強いとか弱いとかいう概念があるとすれば、その源泉はよい記憶を共有したことではなく、悪い記憶を共有したことにあると思う。

よいものはスタンダードとなり未来に受け継がれる。それが生まれた経緯も、どうすごかったかの解説も、少し調べれば後世の人間でも容易に得ることができる。

 

しかし悪い記憶は違う。時間とともに捨てられて、後世には受け継がれない。実際、自分ですら「面白そうに思えたけどやってみたらつまんなかったカセット」とか、「400円で買って100円で売っぱらったカセット」とか、何がどうダメだったかはおろかタイトルすら思い出せない*4。しかし、嫌だと思った記憶、つまんなかったと思った記憶を無意識に共有してるからこそ、世代としての強さが際立つのだ。

時が進んで、ゲームのUIはLやRといったボタンとその同時押しによって様々なインタラクションが可能になり、操作の幅が広がった。3Dが台頭しアナログスティックがあらわれ、現実との乖離が徐々に解消して、より直感的で豊かな表現が可能になった。容量が増えて分かりやすいチュートリアルを入れることもできるようになった。

これらはゲームにとってとてもよいことだ。だが、状況が多様化し、外部情報が増えたことで、制約と工夫と結果、というシンプルなUIとUXの関係を体験できる機会は少なくなったように思う。

 

貧弱な操作体系のハードにおいてソフトウエアUIの微細な違い/工夫が面白さ、遊びやすさ、分かりやすさに大きく影響することを身を持って体感し、子供の頃に「痛い思い」を共有したファミコン世代は、どういうUIを採用するとどういう気持ち(UX)になるかを無意識的に共有できている。だから、日本をダメにするなんてことはないはずだろうと思う。少なくともUX設計においては。

*1:ブックオフとかカメレオンクラブとかそういう全国チェーンもあるにはあったが、そういう店は親の買取承諾書が必要とかそういう制限があって、子供には使いづらかったのだ

*2:ちなみに買取の時は箱説明書ありの場合はそれぞれ+100円のような値付けで、200円で買ったものを1000円以上の値で売るとはどういうことなんだと子供心に思った記憶がある

*3:もちろんネットはないし、大作ゲームを除いて攻略本も存在しなかったため、本当に「詰む」こともあったのだ。そういえば攻略法なんかは発売元に電話すると教えてくれるなんて話もあったなあ

*4:これ、一部ウソだけどね。390円で買って全くやり方がわからなかったタイトルは今でも覚えている。伝説のクソゲー「スーパーモンキー大冒険」である