バカッターという言葉がある。犯罪行為や迷惑行為をわざわざツイッターに証拠付きでアップして自爆する輩のことである。
多くの人が疑問なのが"なぜわざわざツイッターで"ということだと思うが、例えば次のようなやり取りがあったとは考えられないだろうか。
「久しぶり。twitter始めたからフォローしてくれよ。アカウントは@uxlaymanだからさ」
「お、おう(ツイッター?)」
バカッター氏はとりあえず「twitter」とググってみる。アプリがダウンロードできるようなのでダウンロードしてみる。指示に誘導されるままにアカウントを登録する。利用規約はもちろん見ない。
初期画面が現れる。よくわからないが、とりあえずuxlaymanと入れてみる。おお、友らしきやつが現れた!と感動する。そういえばフォローがどうとか言ってたと思い出す。でかでかと「フォロー」ってボタンがあることに気づく。押す。
友人の発言が出てきた!これがつぶやきか、と把握し、自分も書いてみようと思う
「ツイッター始めたぜー」
友人から返信がもらえて、嬉しい!うまく参加できたようだと思う。
友人の名前クリックしたらオススメユーザーのところに友達がたくさんいることに気づく。片っ端からフォローする。よくわからないけど、突然まだフォローしてない知り合いの発言も出る*1ことがあるからどんどんフォローする。
みんなの発言が見えるようになったし、自分の発言も伝わるようになった。これがツイッターなんだと把握する。便利だ!
そんな風にして仲間内で状況を共有出来るようになった。面白いネタを発言してる友達たちに対抗しようと考える。そうだ、バイト先での"やらかし"を披露しようと考えつく。実行に移す。
披露直後はみんなが「お前ってほんとバカだなー」みたいなコメントをしてくれた。満足する。寝て起きたら通知が山のようにきてて、全く知らない人からバカだの通報しただの個人情報を特定しただのの罵詈雑言を浴びせられる。
バカッターが本当にこう言う風に誕生してるかどうかはわからない。しかし、彼の目線から見れば、twitterは仲間が集まるルームのようなものでしかないはずで、"仲間内のバカを晒した"以上の認識がないはずだということだ。
重要なのは「ここは仲間内のルームではなく、皆が全世界に発言した内容を仲間でフィルタリングしたものだ」という概念を気づかせるUI要素がほとんどない*2ことで、しかもこれは"わかりやすさ""直感性"を演出するために意図的に行なわれている可能性が高い。
もし本当にこの想定通りだったとしたら、 そんなことに気付けないバカッター氏が悪いと、本当に言い切れるのだろうか。たとえば、バカッター氏がこんな誤認をさせるようなUIが悪い、とか訴えでもしたらどうなるのだろうか。
mixi型からfacebook型へ
とても大雑把に言ってしまえば、mixiとfacebookは同じことを実現するためのウェブサイトであると言える。が、そのUX思想は大きく異なっている。新旧を如実に表していると言って良い。
これがmixiのトップページである(正確にはちょっと古い)
人ごとに、プロフィール・マイミクシィ・カレンダー・日記などのコンテンツが並ぶ。自分のページであれば、表示されるのは自分のコンテンツであり、他人のページであれば表示されるのはその人のコンテンツだ。
mixiはサイトマップとUI構造が一致している。ユーザーはその構造さえ理解していれば、やりたいこと(自分が3日前に書いた日記を消したい、とか)をどうやればいいのかわかる。mixiが仮に新しいコンテンツジャンルを追加したとしてもそれがしかるべき場所(どこかわかるよね?)に追加されて、ユーザーはすぐにそれを理解できる(少なくともそれが既存のどれと同等なのかはすぐにわかる)
対してこれがfacebookのトップページだ(これも古い)
facebookはUIが変わりまくるし、多分ユーザーごとにも見た目が違うのだが、一貫して存在し続けてるのはフィードだ。画面の真ん中にあるこのエリアに友達の「コンテンツ」が並び、そこからいいねやコメントやシェアができる*3。
そして、フィードとは別に、かなり目立つところに「知り合いかも?」があって、「友達の友達」を自分の友達に追加できるようになっている。これも昔からあまり変わっていない(上の画像にはないけどw)
mixiにもフィードのようなものはあるが、これは他のページのリンクに過ぎず、ページの基本構造や動線を覆すほどの要素になっていない。mixiは、その構造を理解していればより深い情報に容易にアクセスできるが、理解していないと迷子になってしまう。
一方、facebookのフィードはサイトの中心だ。ぶっちゃけ最初のログインページだけでぜんぶ事足りる。友達を追加して行って、フィードをただ眺めて、気に入ったコンテンツに反応すれば良い。facebookのUX設計は「ページを開きさえすればそこで友達とコミュニケーションできる」ことにフォーカスして、うまく作用していると言える。
なお、facebookにもサイトマップを体現した"ようにみえる"サイドバーがあるが、これはカテゴリ分けも機能もどういう基準なのかさっぱりわからない。そもそもある項目に何が表示されているかすらわからない。人をクリックすればその人のページが見れるが、ここでもサイト構造が崩壊しており、同じコンテンツが複数階層に混在しまくっている。ああ、この記事書くために久々にいじったらわけわからなすぎてイライラしてきた。
話が横道に逸れたが、mixiのUI/UXは伝統的で、facebookは急進的で、最近はfacebook型の方が「直感的でわかりやすい」として世間には評価されている。
コンテンツフォーカスのUX設計
facebookやtwitter*4のような、サイトの構造や機能性をなるべく意識させないUI/UX設計手法には名前がないのだが、ひとまずコンテンツフォーカス呼ぶことにする(一般的にはモバイルファーストと呼ばれている概念のこと。正確にはコンテンツフォーカスな設計を行うための手段の1つがモバイルファーストであるように思う)
コンテンツフォーカスなUX設計が蔓延したきっかけは、モバイル端末の一般化の影響が大きい。モバイル端末では利用領域が限られているので、そもそもサイトマップを体現させるようなUIヴィジェットを配置することが困難である。それがないと複数のコンテンツの概念を分かりやすく表現することが難しくなる。だから考え方を変えて、複数の概念を同じ"カタチ"で表現したコンテンツを定義して、それに対する操作という設計指針で構成要素をシンプルに保つようにする必要があった。*5
元々は実用に迫られた概念がデスクトップまでに波及したり、唯一無二の絶対要素のように語られているのは、こっちは完全に商業的な理由であろう。キーワードは広告と行動だ。あ、もちろん建前的な理由は「モバイルデスクトップの区別なく、直感的な操作体系でユーザーの皆様にストレスのないサービスを提供したい」ですけど。
コンテンツが同じカタチをしているのなら、そこに広告を紛れ込ませることはたやすい。サイトの構造がコンテンツとそれに対する操作にフォーカスしていれば、ビッグデータの解析や推論を用いなくても、個々人の興味対象を絞り込むこともたやすくなる*6。
つまり、ユーザーの興味の対象に関連した広告を効率的に提示するのに最適な設計手法であるということだ。
コンテンツフォーカスのUX設計の問題点
さて、この直感的でわかりやすいUIのなにが問題なのだろうか。
一言で言えば、ユーザー自身ですら自分が何をしている/させられてるかわからなくなり、コントロールできなくなることだ。
facebookで、交際ステータスを「既婚」にするとどうなるだろうか。写真にタグ付けするとどうなるだろうか。そもそも、facebookは自分の投稿が「友達」に対してどう表示されるかどうかすらわからないのだ。
もし自分にとって不都合な結果だったとして*7、それを取り消すためには機能性が推察できないUIに迷い、混乱し、最終的にはググらなければならなくなる。
みんなが思っている共通認識は「ともかく友達の範囲にしか公開されないだろう。友達に知られて困るようなことはしないでおこう」くらいのもので、あとは「facebookみんな使ってるし大きい会社だから」くらいの理由で"信用"しているに過ぎない。facebookでバカッターのような騒動が起きないのは、単にデフォルトの公開範囲が友達に限定されているからであろう。
このように、コンテンツフォーカスのUXのサイト/アプリについては、サービスの提供者をほぼ無条件に信用しなければならない。それが気に入らなければ、意図的に混乱させられた機能性を読み解くか、利用規約をつぶさに読んで利用/非利用を判断しなければならない。
粗悪なサイトの氾濫
UX設計の世界ではコンテンツフォーカスとかモバイルファーストの考えは一般的になっているし、広告収入でマネタイズを目指すサービスであるなら経営上の視点からも推進されるであろう。
しかし、どうにも質の悪いアプリ/サイトが多い。
そもそも、サイト構造をそのままUI構造に反映されるような伝統的なUX設計に対して、コンテンツフォーカスのUX設計は難しい。絶えず機能や内容が変化していく中でコンテンツの一貫性を保つことが困難だからだ。ごくごくシンプルな機能性のサイトやアプリを除いては、まともに設計できている例はあまり見たことがない。これに加えてtwitterの本質の隠蔽とか、facebookの無茶苦茶なサイドバー構成のように、意図的に"粗悪さを装う"サイトが混乱に拍車をかけている。
そういう粗悪(であるがとっつきやさだけはある)アプリ/サイトが量産された結果、我々はマネタイズのために設計された押し付けを回避し、ハンバーガーメニューに無茶苦茶に押し込まれた設定群の中から「やりたいこと」を探さなければならなくなる。申し込みだけは流れるようにできるのに、キャンセルの仕方が全くわからないとか、そういうの、最近多いと思いませんか?
まとめ
twitterのタイムラインが時系列じゃなくなる話が多くの反対に遭ったように、主要ブラウザにDO NOT TRACK設定があるように、facebookが自らプライバシーポリシーを整備して"邪悪"でないことをアピールしているように、広告には広告ってちゃんと表記しろステマは許さんと大騒ぎする人がいるように、多くの人は直感的でわかりやすいUIは求めてはいるものの、自分が何をしているのかわからない/自分でコントロールできないようなシステムからの押し付けは受けたくないはずなのだ。
しかしながら現状、人々は「直感的なUI」を神格化し、わからなければすぐ放り出し★1の評価をし、提示されるままにコンテンツを消費し、行動特性を暴露し、広告で消費を喚起させられるような"危険"なUXをもてはやしている。
この状況を作り出していることの一部に、作り手側のコンテンツフォーカスなUX設計への過度なもてはやしと、最低レベルに達していない粗悪(であるがとっつきやすさだけはある)サイトの製造にあるように思うのです。
古い言い伝えに「テレビばかり見ているとバカになる」というものがあるが、同じように「facebookばかり見ているとバカにさせられる」状況になっているように見える。甘いUIで囲い込んだ後は、ひたすら自社利益に誘導させるための通知だのメールだのを送付し、利益誘導のためのUXに集中しているサイトやアプリが増えすぎているように見える。率直に言って、"行き過ぎ"であるように思うし、この流れが続くことは"危険"ではないだろうか。
こういう行き過ぎを抑制し、設計の正当性や邪悪さや危険さを判断して是正させる権限を持つなんらかの機構が必要な状況になっているように思います。とはいいつつ昔に戻ってもしょうがないので、まずは広告あたりのガイドライン制定とかになるのかな。
いかがでしょう。
補足
この記事の内容、"全く意味がわからない"という感想をもつ人もいると思うので、認識の手助けとなるようなバックグラウンドや自己ツッコミをメモっておきます。
わたしはmixi全盛世代で、twitterがまだサイトマップ一致型UIであったときから利用していて、WindowsXPも知っていて*8、要は古い人間なのです。facebookやアプリネイティブのような新しい世代にはこの話はどう感じられるのだろうか。
今回、mixiとfacebookのスクリーンショットを貼ったが、いずれも外部サイトから貼り付けたものだった。
驚くべきことに(?)mixiもfacebookも立派なヘルプがあるにもかかわらず、トップページの構成要素やUIやサイトでできることに関する説明がない。見てわかれ、ということなのだろうか。そんなことは誰も気にしていないのだろうか。
facebook使いづらい、とことあるごとに言っているが、リアル友人でそれに賛同されることはまずない。みんながトップしか使ってないからだからだろうか。
自分はコンテンツフォーカスUXの問題点のうち、プライバシーの漏洩についてあまり気にしていない。自分の行動履歴を記録されてそれが広告表示に利用されても、最終的に自分で判断すれば良いので気にしない。むしろ、自分に合ったものをオススメしてくれるならありがたいとも思う。
自分に関して言えば、アプリやサイトにある様々な機能を自分で選択したいという思いが強い。QOLを上げる手段を自分で選択したいというか。
他人に関して言えば、人々の創造性に可能性を感じているので、ただ怠惰に心地よく消費させられるためだけのプラットフォームを好まない、というのがある。
なにかの助けになれば。
*1:リツイート
*2:もちろん、芸能人目当てでtwitterを始めた人は少なくとも世界とは認識しているだろうが、先のような概念として認識できているかは疑わしい
*3:ていうか昔はフィードと別にウォールってなかった??
*4:twitterは最初はサイトマップとUI構造が一致していた(リプライ・メッセージ・検索とかそういう要素だったよね)が、最近はコンテンツやユースケースにフォーカスしている(反応・見つけるとかね)ように見える。twitterもころころ変わるからアレだけど
*5:だから、PCサイトは伝統的なmixiも(必要に迫られて)モバイルアプリの構造はかなりfacebookに近い
*6:サイトマップ型サイトの場合、構造の移動から意図を読み取ることは難しい
*7:不都合な結果だったことを認識すること自体も難しいのだが
*8:Vistaからコンテンツ/ユースケースに大きくフォーカスしだした