UXエンジニアになりたい人のブログ

エッチだってしたのにふざけんなよ!

「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史」が普通に称賛案件だった件について

各所で話題になってたみずほの本の話。

 

現システムは「大成功」

この本は3部構成になっていて、1部は稼働中の新勘定系システムMINORIの説明です。

 

本件、直接は知りませんでしたがネット上では「関わったら負け」と言われるほど悪評高く、また延期も2度行っていたので、勝手に「既存システムに〇〇を追加せよ、的な"阿吽の呼吸"の要求を元に開発して、レビューの名の下にしょっちゅう要件が追加されて、テストに入っても『運用が回らないから』とか言って要件が追加されて、出来上がったものはなんとか動いてはいるものの柔軟性のないそびえたつクソ」っていうよくあるパターン、銀行っぽいパターンなんだろうなと思ってました。

この本にもきっと「動き出しはしたものの3回目の大規模障害は時間の問題」的な裏事情が書かれているのだと思っていました。

 

しかし、第1部は予想に反してMINORIは「大成功」という体で話が進みます。

ハハッわろすと読み進めていたのですが、どうやらSOAの思想で構築された疎結合のシステムで、それゆえ機能追加時のテスト工数が減少でき、従来システムに比べて(そして競合他社に比べても)圧倒的に柔軟であるとのこと。実際たしかに本の記載を見るととても"良さそうなもの"が出来上がった感じがします*1

 

そして、読むにつれてプロジェクトの様々なことが「正しく」行われてるのがひしひしと感じられてくるのです。

驚きだったのは、要件定義にあたってasis(従来どおり・従来システムを踏襲)を全面禁止して、ユーザー部門に本来あるべき本質的な業務フローを1から考えさせてツールで表現させたというところ。

SOAはサービスやコンポーネントをいかに独立性/再利用性高く切り出せるかが鍵なので、正攻法ではあるのですが、本当に驚きでした。だってそんなことできた試しがないですから。

受託システム開発は「自分の業務すら正しく把握できない要求元が、システムを通じて浮かび上がってきた業務上の不整合を誰のせいだと揉める時間が大半を占める」というお約束で進むものであって、要求元の責務を果たそうとすること自体が珍しいのです。そして、よしんば本腰をいれてやる気があったとしても、そもそも現状と切り離して本来論を検討するというのはなかなかスキルが必要で、底力がないとできないことなのです。

しかもこれ、ちゃんと粒度や記載にばらつきがないようにみずほ側がガバナンスとってやってたらしいです。マジか。

考えてもみてください。「今の業務とはべつに自業務のあるべき姿を考えて謎のツールで表現してください。監査役からもろもろコメント入るかも知れないので対応してください。現行の業務システムから処理を書き起こすのは禁止です。」などというめんどくさい依頼を飲ませるだけでも相当大変ですよ?どれほどの苦労があったことか…

そしてSOAのサービス粒度はこの「あるべき業務」によって適切に決められたはずで、その事実だけでかなり"強い"システムが構築されたことがうかがい知れます。

 

その他プロジェクト運営に際しても痒いところに手が届くような施策をことごとくやっていて、圧倒的に「正しいこと」を頑張ってやったのが伝わってきます。またもや称賛。

例をあげるなら「最初に用語を統一する」話。さらっと書いてありますが、大企業で様々な部署がひしめく中、統一した辞書を作るだけでも超大仕事です。でもそれをしないとそのあとあらゆるところで困るので「正しい」です。そういう細かいことの積み重ね、間違った方向に行かないようにする施策がすごくたくさん出てきてだいぶスタンディングオベーションしたい気持ちになってきてました。

 

2回の延期も場当たり的に延期したのではなくて適切な時期に適切に見積もりを再評価した結果の延期で、うまくガバナンスが効かせられてたことが伺えます。

 

ひとつだけ、大丈夫か?と思ったのは「コードはすべてツールから自動作成」という記述。バグ修正などで正しい挙動を実現するコードはわかってるのに、それを自動生成させる手段がわからない、なんてことにならないかなあと。でもまあきっとそれを上回るメリットがあったのでしょう*2

 

ともかく、第1部を読み終わる頃にはなんか想像と違ったけどすごく良い本だな、という気持ちでした。

 

余談ですけど、第1部には新システムの操作教官として一般職から有志を募って教育にあたらせた話が出てきます(ちなみにこの人達が困らないようにバッチリフォロー体制もあった旨も記載あり)。その人達の現在の肩書がなんかすごいんです。出世した感が肩書きからもわかって、サクセスストーリー感がわくわくします。

みずほ経営陣は「人が育った」ことを大きな成果として認識してるとの記載がありましたが、さもありなんといったところ。

 

圧倒的クソな過去事案のせいで今がより輝く

第2部と3部は2011年の東日本大震災直後に起きた2回目の大規模障害と、2002年の合併直後に発生した1回目の大規模障害に至る軌跡の解説。

これはね、まごうことなきクソです。

 

2011年は(合併後のごたごたがあったにせよ)ずっとなあなあで動かしてきて、異常発生時のリハーサルしてないどころか異常発生時の例外フローすらない、なんならデータフロー図さえないシステムで障害起きて、非常時にもかかわらず全くリーダーシップを発揮できなくて解決まで10日もかかったという、想定以上のクソ事案。

 

2002年は、IT投資増加のために合併するというふれこみだったのに、CIOも配置せず担当レベルに検討を丸投げして、ベンダーと組みながら新銀行の主導権争いに奔走し、システム統合方針さえ二転三転した挙げ句、システム開発会社のできますやれますを鵜呑みにして見切り発車で大障害を起こすという、半沢直樹みたいな話ってほんとにあるんだな、と謎の感動すら覚えるほどの救いようのないクソ事案。

 

でもこれ、最終的に成功に終わることがわかってるので、これらの事案がマイナスに働くより、こんな文化の会社でようやったよな、という気持ちが止まらなくなるんですよ。

ほんの一年前までデータフロー図すらなくて平気だったような文化背景で、ゼロベースで本質フローを書き起こさせるだなんて、ようやったよなと。

合併先の片方にシステムを寄せる「片寄せ」すらまともにできず右往左往する文化背景だったのに、SOAで疎結合なシステムをスクラッチ開発とか、ほんとにようやったよなと。

よくこんなマイナスからのスタートでやりきったなと。

 

やっぱり合併前後くらいで入社して10年間くらいずっと「みずぽ(笑)」とか言われてた人たちが心を一つにしたのだろうか。

ぐうたらな社員でも「3度目やらかしたらマジでやばい」という危機感が共有できて一体感が醸成されたのだろうか。

いろんな想像をかきたてつつ、クソな過去が今をより輝かせるという胸熱な展開です。

 

でもホントのところも知りたい

まあでもちょっと出来すぎてるとも思うわけですよ。ホントのところはどうなんだと。実はみずほ主体じゃなくて裏でコンサルが暗躍してたんじゃないかとかさ。SOAなんて掛け声だけで実は従来通りのスパゲティ・モノリシックなんだとかさ。ただSOAは話半分だとしてもレガシーシステムと比べれば雲泥の進化だからなあ。

そもそもネット上の超悪評はいったいなんだったのかと。すくなくとも2011年以降は「正しい」ことを根気よくやってるようにみえて、ではなにをもってどんな視点でそこまでdisられてたのかと。

まああと最近できてるネット専業銀行とかに比べてアドバンテージはどうなんだろうな、とかは気になる。

 

なにはともあれ、とても良い本でしたし、無事やり遂げられたこと、心の底から称賛いたします。こういう話は元気が出るし、たしかに2025年の崖を乗り越えるヒントになるね。

ブラボー!

*1:というか旧来システムレガシーすぎるだろとビビる

*2:生コードは様々なスタイルで記載できるので、データとその扱い、異常時のポリシーのようなコーディングルールで縛れないような設計上の制約を均質化できるのはメリットかなと。

手段の目的化がなぜ起こるのかいまだに理解できない

 

はてぶにコメントした。 

提案が通らない人が抑えるべきビジネスパーソンの思考パターン3つ | BtoCマーケティング支援の株式会社ホジョセン

普通これ全部考えるもんじゃないの??例えば承認者にあわせてWHYを最重視しました、なんて提案が通るわけがない

2019/08/09 06:16

 

こんなツイートもした。

 

コメントやツイートはしたものの、しかしよくわからない。

そもそも元記事がよくわからない。どうして3つ全部必要なものを「〇〇の人」などとセグメンテーションしたのか。WHY&WHAT→HOWのことをなぜ書かないのか。

 

ツイートで書いた「手段の目的化」はもっとよくわからない。事例は多い。とても多い。ものすごく多い。たとえば、ちょっと前なら「クラウド化」とか。いまなら「IoT対応」とか「機械学習活用」とか。手段(HOW)にのみ着目する事例はとても多い。「いや、それでなにを解決するための機械学習がなんで必要なんですか?」と毎回突っ込む。

 

事例は多いが、でも全然わからない。どういう思考ロジックだといきなりHOWを考えるようになるのだろうか。

そして「いや、それでなにを解決するための機械学習がなんで必要なんですか?」て聞くと答えられないひともかなり多い。意味がわからない。なぜ答えられないのか。目的もなくいきなり手段を考えるなんてことあるのだろうか。

世の中の流れをみて、まず手段を抽出して、そこから目的を逆算することはあるだろう。しかし「ご提案」してる段階なのに目的を言えないなんてことがどうして起こるのだろうか。

客にこんな提案しても話伝わらないな、とか思わないのだろうか??

 

社会人なりたてのときは、なにかのギャグなのかなと思うようにしていたが、そこそこ社会人生活が長くなってもいまだにわからない。そして見聞きする事例だけには事欠かない。

どういうことなんでしょうか。だれか教えてください。 

3D Touchを採用すべきだったたった1つの領域

 

概ね同意だけれども、3D Touchにはもっとふさわしい使いどころがあったと今でも思っている。

3D Touchが導入されたのはiPhone 6s/6s Plusからで、その前機種である6/6 plusの世代から画面が大型化された。

6/6 plus時点ですでに画面の左上に配置されたiOS伝統の「戻る」ボタンに手が届かないという操作不整合が発生しており、さらに「ホーム」と「戻る」を別々に備えるAndroid陣営に対して操作感で遅れを取っていた(そして今でもそれは解消されていない)

 

この時点で、3D Touchをシステム操作として導入すべきだったのではなかろうか。例えば、画面の左下を強く押し込むと「戻る」になる、画面の下1/3を強く押し込むとホームに戻る、とかそういうやつ。「強く押し込む」機能はアプリでコントロールできず、全アプリ共通のシステム操作としてだけ利用できると制約すべきだったのではないだろうか。

 

ますます複雑化するシステム操作

3D Touchの導入から時は流れ、iPhoneXs系列でディスプレイは全面表示が主流となった。その結果、ますます「戻る」に手が届かなくなり、上端から下に下ろす通知センターやコントロールセンターにももちろん届かず、ホームボタンはなくなって画面下端での不安定な操作を強いられている。少なくとも片手操作は破綻していると言ってよい。

Android陣営が指紋センサーへのジェスチャーという新発明で通知アクセスなどのシステム操作を改善しているのに対し、iPhoneはシステム操作に関しては使いにくくなる一方である。

 

もし、システムとして3D Touchを管理していれば、これらの状況にもかなり対応できたのではないか。機能が増えてもプレス感知領域を増やせば良いだけなのだから。もちろん、ユーザーはそんなプレス領域に気付くべくもないが、そこはお得意の広告戦略で「iOSの革新的操作」とか吹聴すればそれで良い。

しかし、実際にAppleが行ったのは、この知覚性が無に等しい機能をアプリに自由に開放するという愚策だった*1。結局ほとんどのユーザーはアプリ毎に「どこで3D Touchが有効なのか」を発見できなかった。それに加え、3D Touchで実現できる機能はほとんどがどうでもいい機能で苦労して発見する価値もないようなものばかりだった*2。廃れるのも当然だ。

 

3D Touchはハードウェア機能なので、それを使ってシステムを制御できれば、ソフト部分のみを提供するAndroid陣営が一律的に模倣するのは難しい。

そのような可能性があって、実際にハードウェア開発して量産にまでこぎつけたのに、愚策によってすべて台無しにしてしまったという印象が強い。

なにはともあれ、RIP,3D Touch*3

 

関連エントリー


 

*1:iOS初期のころに「直感的操作」として導入したフリック操作が非常に知覚性が低く、気の利いた誰かがフリックインジケータを発明するまで「どこでつかえるかわからない」機能だったことを忘れたのだろうか

*2:唯一に近い例外は、キーボードをプレスすると文字カーソルを自由に移動できる機能。あれ、超便利。ただしあの機能があることをよく忘れてしまう。それほどまでに3D Touchは知覚性が低い機能である

*3:実際はiPhoneXRにないだけで、その他現行ラインナップにはすべて実装されているので全然廃止ではないけれど、縮小傾向にあることは間違いないだろう。。。

サマータイムを導入しないにしても日時をすぐ文字列にする悪習をやめるべきではないか

「サマータイム導入はコンピュータシステム的に難あり」は本当か (1/2)

サマータイムは簡単、という記事があまりにあれな件 - novtanの日常

タイムゾーンを考慮した日時の扱いのベストプラクティス - エムスリーテックブログ

サマータイムの話。

結局のところ「データ」としてローカル日時を持ってしまっているシステムが多数あり、それらがどれくらい影響するかわからない、ということが皆が反対する理由。

対策としては結局3つ目のブログに書いてあることがすべてで、システムの内部では一貫してオフセット付きの日時またはUTCでデータを持つべきで、システム境界を超える場合も可能な限り(ユーザーに不要な手間が増えるといった例外を除き)オフセット付きで時刻を扱いましょう、というだけの話。

 

それで、「ローカル日時を持っているデータ」って十中八九文字列ですよね?2018/08/19 23:00とか、201808192300みたいな文字列ですよね。それをDBに入れたりファイルに書き出したりしてるってことですよね?そういうの、もうやめませんか?そもそもなんのためにそんな事するの?っていうお話です。

 

なぜわざわざローカル日時でデータをもつのか 

java:OffsetDateTime (Java Platform SE 8)

.NET:DateTimeOffset 構造体 (System)

db:timestamp with timezone

文字列書式:ISO 8601 - Wikipedia

 

上記あげた*1ように、各プログラム言語でも絶対日時を持って便利に使える型が用意されているし、文字列書式も国際規格があります(もちろん文字列⇔オブジェクトの変換も一意的に行える)。にもかかわらずどうしてオレオレ文字列書式を考案してシステムに組み込んでしまうのでしょうか。

 

違いまーす。コンピューターが用いているのは、「データ」と「システム時刻」です。データには時刻の関連項目がありますね。みなさんに一番身近なのはファイルの更新時刻とかですね。ブログの更新時間なんてのもデータで持ってますよね。表示されるでしょ。まさかこれをずっと「内部時間で刻んている」わけないよね。X時間前、という更新時刻は当然XX:XX時というデータと今の時刻の比較をしているので、システム時間をバーンと変えたらX時間前との相対関係が変わって表示変わっちゃいますよね。

サマータイムは簡単、という記事があまりにあれな件 - novtanの日常

説明のためかもしれませんが、さも当然のようにブログの更新時刻をXX:XXデータでもってると言い切ってるあたり、サマータイム云々関係なく、またレガシーシステム云々も関係なく、日時を文字列で持つのが当然という意識が蔓延してることを示してますよね・・・(というかこの説明に関してはいろいろ・・・)

 

日本国内限定のシステムだから201808192300って書式のほうが誰が見てもわかりやすいから?

とはいえ連携するシステムやクラウドサービスなど、まともなシステムは絶対日時で日時表現してくるのであっちこっちでオレオレ書式に変換しなければいけませんよね?それに、文字列書式のままでは時刻演算(n日足すとかn時間足すとか)が困難なので、その度にParse/Serializeしなきゃなりませんよね。

正直これまわりでプログラマーもどきが「なんだかわからないけど9時間ずれるんです」とか言われたの1度や2度ではないのです。いったいなんのために確立した形式があるのにオレオレ方式を考案してバグや混乱を生み出すのでしょうか。

諸悪の根源は「ともかくわかりやすいから文字列にする」という風潮や単なる昔からの流れであると思われ、そういうわけのわからない悪習はもうやめてほしいと思うのですがいかがでしょうか。

 

おまけ 

中小企業向けの会計ソフトを手がけるITベンチャー「freee(フリー)」(東京)の社内SNSでは、政府のサマータイム検討方針が報じられた6日、エンジニアや営業担当者らから疑問を投げかける投稿が相次いだ。

(中略)

 エンジニアの浅越光一さんは「対応に1カ月かかるのか、半年かかるのか、やってみないとわからない。その対応にかける時間があれば、新サービスの開発がどれほどできるかと思うと、もったいない……」とため息をつく。

サマータイム、IT業界に拒絶反応 よみがえる苦い記憶:朝日新聞デジタル

レガシーシステムを多数抱える会社ならともかく、さすがに2012年創業の会社で、海外進出をめざしてるクラウドサービスの会社がこの感じはかなりイメージダウンだとおもうのですがいかがでしょうか(好意的にみれば自社サービスは大丈夫で連携システムのつなぎを心配していると取れなくもないですが)

 

*1:ここにあげた仕様は比較的新しいものが多いが、しかしコンピューターの日時表現の基本は絶対日時であるUNIX timeであり、伝統的なプログラミング言語の日時型はそのラッパーなので、古い言語であっても絶対的な日時を保持するのはそれほど難しくない

ウォーターフォール型開発を教科書通りやると失敗する

常識かと思ってましたが、業界人であっても開発経験のない人には伝わらないことが多いので、書きます。

なお、ウォーターフォール型といっても明確な定義があるわけではないので、ありがちな以下のモデルを題材にします。

http://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/lecture/20061130/255501/zu02.jpg

via 開発プロセスの基本を学ぶ | 日経 xTECH(クロステック)

 

なぜ失敗するか

 

f:id:uxlayman:20180513113904p:plain

ウォーターフォールの各フェーズの作業内容や成果物を上記のように定義すると、非常にわかりやすいです。が、失敗します*1

要件定義/外部設計は、客がこう言っていた/客が言ってることを実現する画面はこんなのだ、という形で簡単に進んで、内部設計段階で詰まります。なぜなら、外部設計成果の実現可能性を検証していないから。

  • ある画面と別の画面との処理内容がどうやっても競合する
  • 画面表示に必要なデータを抽出できない

こういう問題が噴出します。そしてそもそもどういう前提で外部仕様作ったんだよ上流は、というネットでよく聞く上流対下請けの構図になります。

単純な話です。

 

*1:外部設計や内部設計は母数を要員数で割って、1日あたりの記載数かなんかを成果指標にしてスケジューリングする、といったプロジェクト管理をしているとこの時点で即炎上です

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FaceIDに対する情緒的なクレーム

iPhone Xをゲットして約一ヶ月が経ちます。

ウリの一つであったFaceID(顔認証)も、前評判や各所でのレビューにもある通り、爆速で認証できていてすごいなと感じています。見たときにはもうすでに認証されている、っていう話もまさにそんな感じ。メガネをしてても大丈夫だし、暗くても大丈夫だし、概ね認識率はかなり高いという印象を持っています。

 

ただ、寝起きとかは認証がされにくいんです。まあ考えてみれば当たり前のことなんですけど、布団で顔の一部が隠れてたり、頬に腕を当ててたりするのでフェイスラインが見えないんで認証できないんでしょうね。マスクをしてると認証通りにくいともいうし、妥当なのかなと思います。

そんなふうに、理屈はよく分かるし理解もして納得もしているのですが、でも、それでもですね、顔認証に失敗すると腹が立つのです。ものすごく腹が立つのです。

 

おい、昼間はあんな爆速で見た瞬間に認証OKだったのに、たかが布団のせいでだめになるのかよ。そんな程度の気持ちだったのかよ!的な気分になって腹が立つのです。

まあでも、布団のせいだよなとおもって、ちゃんと顔をしっかり見えるようにして、iPhoneと向き合います。でもやっぱり顔認証に失敗します。

FaceIDもTouchID(指紋認証)も、何度か認証に失敗すると安全のためパスコード入力モードに移行するという仕様が発動するからです。よからぬことを企むひとを排除するという意図で、理にかなった仕様だと思います。とても良く理解しています。

でもめっちゃ腹が立つのです。わざわざ顔を見えるようにしてやったのに見もしないで不審人物扱いかよ!的な気分になって腹が立つのです。

 

TouchIDのときも認証失敗してパスコード認証モードに移行することはありましたが、そこまで気になりませんでした。ホームボタンに指を当てるという行為と画面をタップしてパスコード入力するという行為が近いからでしょうか。

一方、FaceIDの場合はとても腹が立つのです。わざわざ見てやったのに、結局押させるのかよ。見るのと押すのじゃ大違いじゃねーか!的な気分になって腹が立つのです。結局見てロックを解除したあとはタップするなり何なりして画面を触ることになるので、冷静に考えるとたいして手間や操作感は変わらないのですが、それでも腹が立つのです。理屈ではないのです。

 

連続で認証失敗→パスコード認証モードに移行、の話は他にも腹が立つ話があります。

iPhoneを手に持って歩いてるときなど、なにかの拍子(傾けてロック解除機能とかの影響が大きいのかな?)に画面がONになって、いつの間にか認証失敗を繰り返した影響で、画面を見た瞬間にパスコード認証モードになっていることがまあまああるのです。

理屈としては今書いたとおりなのでしょう。挙動としては正しいのでしょう。それはよくわかっているのですが腹が立つのです。お前は一体、街の雑踏のどの部分をオレと認識したのか!オレはそんな雑踏と見間違えるような顔なのか?的な気分になって腹が立つのです。

 

iPhone Xはまだもの珍しいので「ちょっと見せて」的な感じでよく触られます。で、なんか画面をこっちに向けて認証させて中身を見ようとしてくる輩も現れるのです。余談ですが、こういう人ほんとウザいですよね。

ただ、FaceIDには「注視が必要」というオプションがあります。顔を認識しただけでなくて、ちゃんとカメラの方を見ているかどうかを判定して、見てるときだけロックを解除する、って機能です。

このことをよく知っているわたくしは、そのウザい輩に画面を向けられたときも目を伏して決してカメラを見ないように気をつけます。

なのに、認証されるのです!とても腹が立つのです。見てねえじゃねえか!絶対見てねえじゃねえか!なんでわかってくれねえんだ!的な気分になって、とても腹が立つのです。

 

この注視機能もまた腹立ちの種で、iPhoneを机においてる段階で画面オンにして見つめると、結構失敗します。でも、なんで失敗したのかわからないのです。FaceIDの視野角を確認するすべがないので一部しか顔が映ってないから失敗したのか、注視してないと判断されたのか、よくわからなくて腹が立つのです。

持ち上げるのがめんどくさいので机においたまま認証させようとしてるのに、なにが悪いのかわからず認証に失敗するので腹が立つのです。そして、しょうがないなあと持ち上げたころにはまたパスコード認証モードになっていて、さらに腹が立つのです。

 

そうそう、視野角といえば、画面が横向きのときに顔認証が行えないことも腹が立つのです。いやいや、オレ、横になったくらいで誰だかわかんないような顔なの?的な気分になって腹が立つのです。

 

まとめ

腹が立つシリーズをいくつかお伝えしましが、いかがでしょうか。理屈はわかっているのに腹が立つ、という意味で「情緒的」というタイトルをつけさせていただきました。

興味深いのは、TouchID(指紋認証)とFaceIDはほぼおなじ挙動であるのに、TouchIDではこのような気持ちにはならないことです。それと、FaceIDが失敗すると「お前なあ!」的な、相手が人であるかのように感情を揺さぶられます。

 

思うに、顔がパーソナリティの代表であることが大きく関係してるのでしょう。

アイドルの追っかけじゃないですけど、顔を認識してもらえるのは嬉しいことです。顔を覚えてもらえることは自分を認めてもらえてるという実感の第一歩です。顔を突き合わせることはコミュニケーションの基本です。このへんが、人生生きてきても他人との違いなんて全く意識しないし、人と見せ合うこともないような指紋との違いです。

そういうパーソナリティの代表である「顔」を使って認証するだのしないだのって機能をつけるにあたっては、もう少しセンシティブに考えるべきではなかったのでしょうか。

ご査収くださいませ。

 

おまけ

スマートスピーカーがブームですが、Siriを始めとして、音声認識が自分を汲み取ってくれないときも腹が立つのです。

ヘイ!シリ!

ヘイ!!!ヘイ!!!シリ!!!

ヘイ!ヘイ!ヘイ!バーカ!

というようにキーワードなんて忘れるくらい腹が立つのです。機会があればこのシリーズも是非ご査収いただければとおもいます。

 

aiboベーシックプランという名称には風情がない

新aiboが発表されました。本体が20万弱で、月額料金(要はクラウド運営費)が3000円弱。そうなんですか。高いかなーとも思うけどクラウド側に主体があるPS Nowが2500円だから、まあそういうもんなのかなあとも思います。

 

で、問題なのはその月額料金の名称が「aiboベーシックプラン」であること。

新型aiboをソニーが発表。自ら好奇心を持った、生活のパートナーとなる犬型ロボット - Engadget 日本版

名称は「ご飯代」とかにしてほしい。“aiboベーシックプラン”

2017/11/01 13:06

新型aiboをソニーが発表。自ら好奇心を持った、生活のパートナーとなる犬型ロボット - Engadget 日本版

吹きあがるコレジャナイ感&「ただし使用には別途「aiboベーシックプラン」への加入が必要」っていうまるでスマホ感覚。今も続く熱烈なアイボ信者のほとんどが高齢者だと分かっていての鬼畜の所業かしら

2017/11/01 12:19 

 

それな。ほんとそれ。まさにそれ。

どうしてこんなスマホプランみたいな名称にしてしまったのか。どうして「生き物のお世話」を感じさせる名称にできなかったのか。ハード面ではメカメカしい外観から本物の犬のような外観に変更したのに、ソフト面でなぜ電化製品のようなプラン名をつけてしまったのか。ちぐはぐの見本のようなお話です。

 

 スマートスピーカーが注目される中で、人との対話という点にも質問が及んだが、「企画段階で揉めたが、aiboは犬型のロボット。実は先代は犬型と呼んでなかったのですが……。今回は明確に犬を想定して作ったので、人の言葉は話さない。ただ音声は認識している。また、別の製品では、話すというインタラクションもありえる」とした。なお、“鳴く”機能は備えている。

via ソニーのロボット犬「aibo」が復活! 心のつながりをもつエンタメロボ。19.8万円 - AV Watch

スマートスピーカーじゃないんでしょ?犬なんでしょ?犬であることが大事なんでしょ?そこわかってて、わざわざ人の言葉を話さないようにするってとこまで考慮して丁寧に企画を進めてたはずなのになぜ・・・。

 

プラン名なんて単に言葉尻だけの問題なのですが、世界観というものは作り上げるのは苦労するのに、言葉尻だけで簡単に壊れてしまうものなのです。

犬っぽい外観に似せて、なんちゃらアクチュエーターで犬っぽい動きを再現させて、演出のために人間の言葉は話さないようにして、クラウドと連携して“人に寄り添う”を実現して、っていう苦労をしてやっと作り上げた世界観がプラン名の言葉尻1つでぶっ飛んでしまう。

 

結局、プロダクトに対してどういうイメージを持つかは、どういう世界観を提供しているかによるところが大きいですよね。世界観が、風情とか情緒とかそういう言葉で表現できる。良いプロダクトには良い世界観があって、すなわち風情がある。aiboベーシックプランという名称は世界観をぶち壊していて、すなわち風情がない。プロダクトの良し悪しを風情のあるなしで語るっていうのは面白いのではないかと思います。そこに風情はあるのかい?ってね。

先の引用文章からすると、製品が完成して、周辺整える段階まではちゃんと気をつけていたことが伺えますが、最後の詰めでなにか行き違いがあったのでしょうか。11/1にワンワンワンで発表です、なんてことを考える前にやることがあったのではないかな、と悲しい気分になりました。

 

おまけ

「ユーザーが使っている環境をバックアップできる。買い替えた場合は、新しいaiboにそれまでのデータをダウンロードして引き継ぐこともできる」という。

via ソニーのロボット犬「aibo」が復活! 心のつながりをもつエンタメロボ。19.8万円 - AV Watch

いやだから。ダウンロードて。風情を大事にしてほしいです。