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理論型vs行動型 対立する“仕事のやり方”の境界線

理系企業と文系企業

仕事(にかかわらず物事の進め方)のやり方ってざっくり2種類あるとおもうんです。

ひとつは理論型。目的や意味を把握して、それを満たすために必要なものを系統立てて整理して、「やり方」を決めるタイプ。「より論理破綻が少ないもの」「論理」が絶対正義。他人より“うまく”やることを目指す。

もうひとつは行動型。ひとまず「一般的なやり方」ではじめて、徐々に状況に応じてアジャストしていくタイプ。「より多くの者に受け入れられてること」「人」が絶対正義。他人より“早く”やることを目指す。

 

演繹型と帰納型とも言えるかもしれない。もしくは、理系と文系というよくある対立軸にもあてはまるのかも。理論型は論理を求め、行動型はケースを求める*1

この2タイプはおおむね仲がよろしくないし、お互いを見下していることもよくある。行動型は理論型のことを「結論が出ないようなこと延々と考えてなにか言うたびに『それは理屈がおかしい』などといちゃもんをつけてくるやつ」などと思っているし、理論型は行動型のことを「よく考えずもせず、他者が行った結果だけを見て先走って失敗するやつ」などと思っているであろう。 

双方がお互いのことを「頭でっかち」「バカ」と思いつつ埋まらない溝を挟んでケンカする。まあ要するに営業と開発とか、企画者と実務者とか、そういうよくある対立項の話です*2

 

でもこれって、どちらがよいかは状況によって違うと思うわけですよ。 例えば職種。研究開発職のような世界で唯一みたいなものを目指すのであれば理論型で行かなければいけないし、流行みたいな人に強く影響する職業(あんまり思いつかないけど、雑誌編集とか?)では行動型で行かなければならないだろう。

ほかにも、長期的な利を求めるのか短期的な利を求めるのかとか、知識やノウハウがある状態なのかない状態(新入社員とか新規参入とか)なのかとか、一番を狙うのか一角を狙うのかとか、そういう状況というか目的の違いによって“どちらがよいか”が決まるはずだ。

そして、営業と開発、企画者と実務者では目的認識に違いが生じるので、対立が発生するんじゃないかと。だから、お互いを慮って、相手側の理屈も理解して、うまく終着点を見つけられるようになればいいんじゃないかな、と思います。

 

 

なんてな。

そんなわけない。 実際は、理論も行動も両方必要です。考えてみれば当たり前です。たとえばある企画案を立案したとしよう。それへの投資判断を行う決定者の目線で考えてみましょう。

「ほら、A社もB社もC社もこれでうまく行ってるからうちもそれでやりましょう」なんて案が通るわけがない。「ただ表面だけなぞって失敗する」なんてのは見慣れた光景だ。「A社B社C社の何が共通で、なにに作用したからうまく行ったのか」を理屈付けて説明せよ、と言われるのは当然だろう。

同様に、「ほら、理屈上はこれがこうなってそうなってどうなるからうまく行くんです」なんて案が通るわけがない。「理屈は悪くないが世間に受け入れられなかった」事例も、これまた山ほどある。「理屈はわかったからそれを現実に適用してうまく行くであろう根拠を見せよ」となるのもまた当然であろう。

 

「なぜそうなるのか」 「それで実際にうまく行きそうなのか」は両方ないと、最終的に仕事はやりとげられない。だから、理論型はいつかは行動しなければならないし、行動型はいつかは理屈付けをしなければならない。そこに境界線なんてない。終着点は交錯点にある。

もし、わたし/あなたは行動派だからとか、わたし/あなたは理論派だから、などと公言して、自陣営を世界の真実のようにとらえているのなら、そして相手陣営を“間違ったもの”として攻撃しているのなら、それは職種だとか組織だとか局所的な状況といった矮小な概念に捕われていて、しかも自分でそれに気づいていないというかなり危険な状態なのではないかと思う。

 

*1:行動型は根本的には「世の中のすべてを理屈付けすることは不可能だ。なぜなら人という不確定要素があるから。だから事実に学ぶしかない」という暗黙の前提を持っているし、理論型は「世の中のすべては理屈付けすることは可能だ」という暗黙の前提を持っている

*2:ふと思ったけど、「空気を読まない」って批判されるのは理論型だなあ。行動型に取っては(場の)大勢に受け入れられてる結論が絶対正であるから、空気を読まない=正しい結論を阻害する=悪なんだな。理論型にとっては理が通ってない結論は正ではないから空気なんて気にせずに発言する、と