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UXエンジニアになりたい人のブログ

転職活動はじめてすぐやめた

成功したがゆえに崩壊しつつあるiOSのシンプル哲学

 

前回こんな記事を書いた。要約すると「戻る」に手が届かねえって話。

同意も多かったのだが、「左端をエッジスワイプで戻る」が実装されている、というコメントを多くもらった。試してみたところ。。。。おお!すごい!たしかに!iOS7からNavigationControllerのデフォルトの挙動として実装されてるらしい*1

で、これやってみた人いる?なんかやりづらくなかったですか?やりづらかったですよね?やりづらかったことにしましょう。その経緯とそこから広げて色々書いてみようと思うので!

長いですごめんなさい。崩壊の話が聞きたい人は「行き詰まり」から読みましょう。

 

 

なぜエッジスワイプはやりづらいのか 

そもそもスワイプとエッジスワイプの違いはわりと難しい。

スワイプは真ん中辺りにポイントして、上下左右に動かす。エッジスワイプは端にポイントして、内側に動かす。

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スワイプとエッジスワイプ

このブログに来るような人なら何が難しんだよバカwwとなるかもしれないが、実際、この違いをうまく親戚のおばちゃんやゆるふわちゃんに説明できるだろうか?

しかし、よくよく思い返すとエッジスワイプはすでにiOSにおいて実装されており、広く普及している。通知センターと、コントロールセンターだ。それぞれ、上端と下端のエッジスワイプで動作する。

これら機能について、戸惑っているひとや、知らない人をあまり見たことがない。なぜか。ヒントがあるからだ。

 

通知センターは、通知があると画面上部に覆いかぶさる形で通知が表示される。取っ手がついて、いかにも「引っ張れば広げられそうな形」で。実際、引っ張ると広がる。

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通知センターがオーバーレイしている図

 

コントロールセンターは、ロック画面にて「取っ手」が表示されている。触ってみるとなんか下から出てくるので、引っ張り上げるとコントロールセンターが現れる。

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コントロールセンターが現れる図

このようなヒントを元に、ユーザーは機能を学習できる。 アフォーダンスだっけ?基本である。

ここで重要なのは気づく・気づかないのほかに、これらの表現が「エッジ」のエリアをイメージさせるのに役立っていることだ。エッジスワイプは実際、縁からスワイプする必要はなくて、縁から一定距離の範囲内のエリアにタップし、そのままスライドする、という操作によって動作する。 その「一定範囲」がどのあたりなのかを表現によって示している。

 

エッジスワイプによる「戻る」にはこのような示唆が全くない。だから気づかないし、気付いたとしても「どのあたりがエッジなのか」というイメージがないため、ミスりやすい。

「戻る」がうまくできなかった人、端から滑らすんじゃなくて、端に近いところをタップしてから滑らす、ってイメージしてみてください。

 

操作の一貫性/対称性がない

通知センターもコントロールセンターも「覆いかぶさる」ものとしてデザインされている。いま没入しているアプリとは別の概念のものが「覆いかぶさる」ものとして。そして、覆いかぶさったものは同じような動作で「剥ぎ取る」ことができる。対称性があるし、間違えてもすぐ元に戻すことができる。

それに対してエッジスワイプ動作中の画面はこれだ。 

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エッジスワイプによる「戻る」を実行中の図

何かがおかしい。ただ単にナビゲーションで選択していった画面が重なっていて、それを取りのぞくというのではなく、左に寄りながら重なってるような画面である(だから半分くらいスワイプした状態の上記写真でも、まだ左側が見切れている)

 

ただでさえややこしく説明しづらいエッジスワイプの機能が、ノーヒントでかつスワイプする端によって微妙に操作のレイヤーが異なる。

このような一貫性のなさから、偶然この機能を発見した人がいても、その意味を理解できないのではないだろうか。

 もともとこういう操作の違和感をかなり気にしていたAppleがこんな状態であり、他方、GoogleがMaterial Designにて「リアルの紙」をメタファーとしてレイヤーの整合性を取り、原則の1つとしてMotion provides meaningをあげてアニメーションや遷移のわかりやすさを追求し始めていることが実に興味深い。

http://material-design.storage.googleapis.com/images/layout-principles-dimensionality-dimensionality-04_large_mdpi.png

Principles - Layout - Google design guidelines

  

行き詰まり

このように、かなりわかりづらい表現になっているエッジスワイプによる「戻る」であるが、これは単なるチョンボというより、Appleのシンプルなデザイン哲学の行き詰まりを表しているのではないだろうか。

わたしがAppleの末端エンジニアの立場なら、エッジスワイプが不整合を起こしてるのは知ってるよ!でもほかにどうしようもないだろ!もうジェスチャーくらいしか追加できないだろ!と言うと思うからだ。 

 

iOSのシンプルなデザイン哲学

かつてAndroidのボタンは4つあった。「ホーム」「メニュー」「検索」「戻る」であり、特に特徴的なのは「メニュー」である。メニューボタンによって、そのスクリーンに必要な要素が表示され、細かい設定を行うことができる*2

とてもプログラマ的で、PCのコンテキストメニューにかなり影響を受けていることがうかがえる。以下に示すAppleの案と比べるとかなり見劣りするが、決して悪いアイデアではない。正統派だ。

 

Appleは全く異なるシンプルで素晴らしいアプローチを作った。ボタンはホームボタン1つだけで、一貫したデザインによって異なるアプリにおいてもスクリーン上の意味の統一性を確保した。

サードパーティーによるアプリの解放後も、流通経路をコントロールし、デザインガイドに従わないアプリはリジェクトするという強硬な手段によってユーザーのUX体験を保護した。強力で汎用の純正アプリと、それを補足するシンプルに特化したサードアプリという関係性も推進した*3

結果。ユーザーはスマートフォンという未知のものに戸惑うことなく、莫大な恩恵を受けることができた。 「マニュアル不要」だとか「直観的なUI」だとか「モバイルに見習うUX表現」だとか、フレーズだけ見てもiOSのシンプルな哲学が切り拓いたものはとてもとても大きい。iOSのこのデザイン戦略がなかったらスマートフォンはここまで普及せず、エンジニアのおもちゃどまりであっただろう。かつてのPDAやBlackBerryなどのように。

 

状況の変化

しかし今のデザインの行き詰まりはこの素晴らしいシンプル哲学が招いてるとも言える。

スマートフォンは普及し、みんなが慣れ、やりたいことは複雑になった。マルチタスクから始まり、アプリは単体で没入するものではなく、連動して動作することが求められるようになった。

 

昨今のiOSは「シンプルを求めて切り捨てたものに追い回される」事例が多々出てきている気がする。

「戻る」ボタンだけでなく「メニュー」がないのが地味に効いてきてる。iOSは慎重にUXを検討して設計しなければならない。「スワイプでしか呼び出せないのにスワイプするのがわからないような機能」を避けなければならない。Androidは「ユーザーがなんだかわかんなくなってもメニュー押せばわかるからいいだろ」で多少乱暴な実装ができるのだが。

そしてフラットデザインもまた地味なリスクファクターだ。Appleはスクリーン上の構造の一貫性をキープすることでシンプルさを担保してきた。だから、スクリーン上の記号や印象を変更することにもっと慎重になるべきだったと思う。 Androidみたいに「とりあえず戻る」「とりあえずメニュー」で救済される要素はないのだから。

 

ホーム画面にヴィジェットがないから通知センターにヴィジェット的なものを置くとか、インテント的なものがないからOSにFacebookやTwitterを統合する*4とか、このへんは無理矢理感といきあたりばったり感がすごい。

そもそも、ホーム画面からしてジェスチャー地獄じゃないか。下端のエッジスワイプでコントロールセンター、上端で通知センター、普通の下スワイプでSpotlight*5。特に、下スワイプと上端からの(下方向への)エッジスワイプが共存しているところがヤバい。

「4つのボタンの意味を理解して、状況に応じて最適なボタンを押す」ていう旧Androidの操作性を「ボタンは一つ、画面を見ればできることがわかる」というシンプルさで圧倒したiOSが、なんてことだ。隠されたジェスチャーを探し出さないとSpotlightも使えないなんて!

この事例は端的に「行き詰まり」を表していると思う。

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あとがき

この話は「エッジスワイプによる戻る」から派生した、単なる理屈屋の杞憂かもしれない。

「エッジスワイプで無限に戻っていける。そう、iPhoneならね」というCMを流せば解決できることなのかもしれない。そもそもみんな「戻る」の使いにくさなんて気にしてないしそのうち慣れるかもしれない。「iPhone 戻る 届かない」で検索して、エッジスワイプについてのブログが引っかかればいいのかもしれない。アプリ開発者側でうまい工夫が提示されて、それをAppleが取り込むかもしれない。

しかし、そうではないかもしれない。ホーム画面のジェスチャー地獄に象徴されるように。

 

先にも述べたように、わたしはスマートフォンの成功自体がiOSのシンプルな哲学によって成し遂げられたという思いが強い。称賛や尊敬する思いもかなりあるため、その成功によって少しずつ行き詰っていくのを見ているのはつらいものがある。成功したがゆえにそれが足かせになって疲弊していく。まさにジレンマだ。

しかし、エッジスワイプの問題に限らず、最近のiOSのUI変更の内容を客観的に見ていくと、iOSの素晴らしい成功を導いた「シンプルの哲学」は、理屈の上ではかなり崩壊に向かっているように思えることは否みがたい*6。いかがだろうか。

 

関連記事: 

*1:逆に言うとNavigationContoroller以外ではデフォルトでは実装されてないっぽい。Twitterの写真クリック後の画面はこれでは戻れなかった

*2:iOSにはこのメニューに相当するものがない。代わりに、しょっちゅう変えないような設定は「設定」アプリで設定せよというガイドが少なくとも昔はあった。が、今はかなり廃れているように思う。単純に今開いてるアプリと別のところに設定があるって、わかりにくいよね。。。

*3:この点、Google純正アプリは単なるリファレンスにすぎないAndroidと好対照であり、初期のAndroidが質の悪いメーカー/キャリアプリインストールアプリと統一感のないデザインでUXを損なったことと関連して興味深い

*4:iOSのデザインはOSが強力で汎用的なCoreフレームワークを提供し、それをアプリが利用するというモデルなので間違ってはいない。が、例えば写真をTwitterに投稿する場合、ユーザーが望んでるのは、本当にそれなのか?

*5:このUIの呼び出し方凶悪すぎてビビる

*6:じゃあどうすればいいか、こっそり注記で書くが、ドラスティックに操作体系全般を作り変えるしかないだろう。しかしiOS7でドラスティックに変えたばかりなのがつらい。フラットデザインェ。。。